私はたびたび過去好きだった食べ物やお店、今はどんなに食べたくても食べられないものたちについて言及してきました。
目にしなくなることで、自然と思い出す機会は減っていくものです。
それでもふとした瞬間に猛烈に恋しくなる。
あわよくば復活したりしないかという淡い期待を胸に、今はなき好きだったものたちへの思いをつづっていきます。
豆腐屋さんのおからドーナツ
これについてはこの日にちらっと触れています。
そのドーナツはある豆腐屋さんにありました。
当時は幼かったため、残念ながら店名はさっぱり覚えていません。
交通量の多い国道沿いに立っているにもかかわらず、存在感を極限まで消す目的でもあるのかというほど色味の少ない灰色の店構えだったことを覚えています。
縁石の色に溶け込み過ぎていた。
何者かから身を守っていたのかもしれない。
おぼろげにですが、家族で外食に行った帰り道によく買っていた記憶があります。
今日はお店を閉めるからと残った在庫分を全てサービスしてくれることもあったりして、子供の私は大喜びしていたものです。
はかない思い出
先日、母親と思い出話に花を咲かせていた折のこと。
あのドーナツ好きなの、あんただけだったんじゃない?
うそじゃん。
あんなにみんなで食べた思い出の味だってのに、美しい思い出カテゴリに分類してたのは自分だけだったってか?
お店の人の知るところではないのに、勝手になんだか申し訳ない気持ちだ。
ネットで公開しちゃったのにさ。
それでも私はあの味が好き
味について一言で表現するならば、素朴。
一切の飾り気をそぎ落とした究極の素朴さでした。
スイーツと呼べるような分かりやすい甘さはなく、鼻の奥でほんのりほのかに香る砂糖の甘味。
今やメジャーな存在のもっちりしたドーナツとは程遠い、もそっとした食感。
そして何より、かむごとに体中の水分という水分を吸いつくしてやるという固い意思さえ感じるような水分量の少なさ。
どんなにゆっくり噛みしめても、めちゃめちゃ喉に詰まっていた。
あの日のおからドーナツとの再会を夢見て
やがて豆腐屋さんは閉業。
もちろんこのおからドーナツも二度と食べられなくなりました。
気が付いたときにはひっそり看板を下ろしていて、なんだか無性に寂しい気持ちになったことを覚えています。
ケーキ屋さんというものがほぼ皆無だった田舎において、幼い私の数少ない楽しみの1つでした。
ありがとう、おからドーナツ。
ありがとう、おからドーナツを流し込んでくれた牛乳。
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